ビートルズ・ブートレッグ55年目の真実

デッカ・テープス 総論

(Outline of "Decca Tapes")

         セクション 8  名乗り出た「Untold Story」を書いた人物 

          Section 8 It became clear, whom "Untold Story" made


 2014年に「Untold Story」を書いた人物が名乗り出た。それは Walter J. Podrazik氏 並びに Harry Castleman氏であった。

 2014年、Podrazik氏は自身のブログの中でこう打ち明けている

「ついに時が来たように思えたので、今、それを明らかにします。

1979年、私たちは『退屈な古臭い事実をあえて捨て、フィクション作家の自由を謳歌し、私たちが『こうあるべきだった 、『こうあってほしい と願っていたかもしれない物語を紡ぎ出しました。 それは、ビートルズと、1962年1月1日に行われたデッカ・レコードの伝説的なオーディション(通称:デッカ・テープス)でのレコーディングの物語でした。

 そして事実とは異なる「1962年の最初の8ヶ月間にデッカ・レコードのために複数回のセッションを行った」ことに変更したのだという。一方で物語に正確な各曲の正しい情報と解説書くことによって、特にアメリカでは、一般の読者が騙されるほどリアルに見える、真面目なフィクションが生まれました。」と回顧している。

 この両氏は特に1970年代から80年代においてビートルズ・ファンにとっては名の知れた人物だった。1977年には「Beatles Again」をそして1985年には「End Of The Beatles」の著書がある。両氏の著書は残念ながら日本語訳では出版されず、日本のファンにはなじみは薄いかもしれない。私も著書を読んだことはなかったが、「The End Of Beatles」は1980年代当時ビートルズ関係の洋書カタログ等でその存在は知っていた。

 この事実を知ってから、初めて「The End Of Beatles」に目を通してみると、なるほど、「Decca Tapes」に関してはかなり詳しい記述があった。改めて、両氏の「Untold Story」に関する告白は嘘ではないと確信したのである。

 彼はこの仕事の依頼を受けた時のことを次のように綴っている。

「1979年、全曲をアルバムに収録する計画が進行中で、そのパッケージのライナー・ノーツについて間接的にその話が私たちの耳に入りました。 今日に至るまで、誰がそのプロジェクトの背後にいたのかは全く分かりません。当時は、ある人物の知り合いの、知り合いの、そのまた知り合いを通じて、複雑な形で返答していましたが… その連絡先はとうの昔に全て失効しています。

 当時の依頼は単純明快だった。デッカの楽曲の歴史と背景を説明してほしい、と。仮名を使うのは当然のことだったので、もっとクリエイティブになりたいという誘惑に抗うことができなかった。」

と語っており、依頼人との連絡は一方通行であったらしい。

 実はこのプロジェクトが1979年の時点ですでに進行中であったこと、彼はこの企画した人物が誰であったかは知らされていなかったというのだ。

 おそらく彼は本当の話を語っていると思うが、仮に依頼してきた人物を知っていたとしても、そこの部分を語るわけにはいかないのかもしれない。

← 写真

「The End Of The Beatles ?」(1985年)

Harry Castleman , Walter J. Podrazik (著)

「The Decca Tapes」に関する記述は非常に詳しい

 氏は「The End Of Beatles」の中で、デッカ・テープスの発売について克明に記している。ピクチャー盤のリリースは1979年11月、「Untold Story」がバック・カバーに載ったCircuit盤は12月であったと。

 また、氏は、「Untold Story」について、「捏造された歴史を構築することは信憑性を作り上げる挑戦として受け入れた」と語っている。確かに、彼らの著書のひとつの特徴はデータの正確さと細かさである。この点は「Untold Story」の中でも十分に発揮されていた。

 一方で、「The End Of Beatles」を読んでいると、ややJoe Pope氏に対する批判的な表現も見受けられる。それはJoe Pope氏ができるだけDeccagoneシングルを多く売るために、リリースの発行間隔を遅らせ、もったいぶったセールスをしていたことを指摘している点である。

 おそらくは「Untold Story」の中で皮肉めいた、ユーモラスな表現はそういった感情から出てきてしまったものではないだろうか?

 しかしながら、先を越されたうえに、「Untold story」を読んだJoe Pope氏は大変なショックを受けたことだろう。

 さて、Circuit RecordsはなぜJoe Pope氏よりも先んじて制作することができたのか? 前述のとおり、1979年にPodrazik氏がこの依頼を受けた時点で計画は進行中だったと証言している。つまりその時 Circuit Records は既に(Joe Pope 氏のものとは異なる)デッカ・テープスのマスター・テープを入手していたのである。

 前セクションでのWizardoのインタビュー中の証言や、2024年に発売された本の中でもそれ以上のことは記載されていない。・・・そして「記載されていない」と言えば、あることにも気が付く・・・・。

 それはCircuit盤「Decca Tapes」は掲載されていないということである。

 そればかりか、彼が大いに関与していたはずの「Ruthless &Rhymes」レーベルをはじめとして、「Audifon」や「POD」、あるいは「Dragonefly」といったレーベルの1970年代後半のブートレッグは2024年に発売された本のディスコグラフィーあるいはその他のページにも一切掲載されていないのである。これはどういった意味があるのかお分かりだろうか?

 さて、ここである人物について説明せねばならない。

 その人物の名を明かすことはできないのだが、このウェブ・サイトでは彼を「P氏」と呼ぶことにする。そしてこの「P氏」についてはこの後のセクションで詳しく再び触れることにする。

 実は「P氏」は「The Decca Tapes」の製作に直接携わったと推測される人物である、彼について話を掘り下げる前に、ブートレッガーに関すること以外で「The Decca Tapes」のリリースに影響を及ぼしたと思われる2つの出来事について先に紹介することにする。


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                (Raid by FBI and the largest sound recording seizure)」

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